映画の話<2>

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 大学生になってよく映画に行くようになった。
もちろん、もっぱら二番館の名画座。当時は倉敷駅や岡山駅にも名画座がありだいたい500円で2本観ることが出来た。

 この頃観たノーマン・ジェイスン監督の「ジーザス・クライスト・スーパースター」には随分影響された。LP購入、キリスト教と宗教関係本の読書・研究、絵画制作等・・・・・。頭でっかち絵画の始まりにもなった。
 
 また当時日本映画にも若い監督が登場し、東陽一監督の「サード」が鮮烈なイメージを与えるなど、ATGを中心に新たな時代を迎えていた。
 「サード」は当時、名画座である第2ニシキ館(第1ニシキ館はピンク映画館だった。今年帰省したときにまだあったので驚いた。)で観た作品だが、一目で森下愛子のファンになり、以後彼女の出演する映画はチェックするようになった。
 「遠雷」「もっとしたたかにもっとしなやかに」なども同館で観た。
 (ちなみに森下愛子と吉田拓郎との結婚を知ったときはちょっぴりショックを受けた。話のついでに、吉行和子も好きだった。)

 大学2年になって中華料理店でアルバイトを始めたが、映画館経営の麻雀店への出前もしていたため、招待券が手に入った。アルバイトの自分に来るのは東映映画がほとんどだったが、運が良ければ洋画館のチケットも手に入った。
 従って当時は東映のヤクザ映画を随分観た。広島弁など関西以西が舞台になっており、松方弘樹は決まって鉄砲玉のような役で、金子信雄は悪玉で女好きな組長といったふうにワンパターンだったが結構楽しめた。
 
 中でも出色は「山口組三代目」。山口組礼賛映画といわれ問題になったが、映画としてはよくできていた。
その映画に、高倉謙、田中邦男とともに一人とんでもない存在感を感じさせる俳優がいた。
感心して見終わった後に名前を確かめると「菅原文太」。
 以後彼の出演する映画が気になり始める。
(ちなみに彼が主役を演じたNHK大河ドラマ「獅子のごとく」は面白かった)
 ただし、東映も斜陽で俳優はテレビに出演するようになっていた。松方弘樹や菅原文太もホームドラマで見かけるようになると途端に興味を失った。

 日本の映画スターは当時から急速に姿を消していった。

 
 この頃映画館で初めて痴漢にあった!?

 男である(涙・・・)

 場所は京都の映画館。映画好きが高じて京都まで観に行ったわけではない。弟が京都に下宿していたため、よく大阪や京都に展覧会を観に行っていた。街を歩いていると長谷川和彦監督「青春の殺人者」と「真夜中のカーボーイ」という日米ニューウェイブの映画が上映されているのを発見。
 今から考えるととんでもなく贅沢な二本立てだが、京都ではこんなことは当たり前なのだろうと思い、喜び勇んで鑑賞。その途中。

 さすが話題の映画だけあって、館内は立ち見。ふと見ると前に立っていた男が妙に私を気にしながら後ずさりしてくる。「変な奴だ」と思いながら避けるように後ろに下がるとまた後ずさり。気持ち悪くなって後ずさりするとまた後ずさり。気がつくと、場内の隅に自分が追いやられていた。「もう、逃げ場所がない・・・」
 すると、男の手が下の方に降りるのを発見・・・。いくら純情な青年でもここまでくれば気がつく。
咳払いをわざとらしくして堂々と男の前出て(振り向こうと思ったが、怖いのでやめて)前の方にいた弟のところへ移動。訳を話すと、笑われた。 

 ある時オールナイトで映画を観た。
倉敷の三友館で開催されたものだが、「いい映画を観る会」らしきものが三友館を借り切って4本を連続上映したもので大学の友人達と行った。
 ここで覚えているのは「わらの犬」くらいだが、他の映画は今でいうミニシアター系の映画だったようでそれまで観ていたアメリカ映画とはかなり異なり、難解な感じを受けた。
 内容はともかくもう一つの映画を知ったようで貴重な体験だった。
面白かったのは最終上映後、三友館が好意で「頑張れベアーズ」を見せてくれたこと。皮肉にも全4作よりも会場は盛り上がった。
 
 その頃は「ロードショー」や「キネマ旬報」などの映画雑誌も時々買うようになり(いつもの事ながら)結構のめり込んでいた。
 しかし、そこは田舎住まいの宿命。雑誌で紹介されていた観たい作品は上映されず、相変わらずハリウッド映画ばかり。ヨーロッパ映画を渇望し、ヌーヴェル・バーグという言葉に憧憬を感じていた。
(2001.10.28)

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