中村芳中
(?〜1819)
- タシスム に遊ぶ-

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 中村芳中(ほうちゅう)。
生年不詳1819年(文政2年)没。大阪を中心に活動した江戸後期の絵師。 
 彼の作品に初めて興味を持ったたのは「琳派に夢見る」(仲町啓子著/新潮社1999刊)という著書でした。
 作品図版は2点。「草花図色紙」という作品で、十二枚の色紙を貼って十二ヶ月を表した画帳。その中の「梅図」と「萱草図(かんぞうず)」で、それぞれ1月と5月を表していました。

 この本を購入したのは「俵屋宗達」の作品が多く掲載されているからですが、図版も多くレイアウトもいい。美術書の特に図版のレイアウトというのは大変重要な要素であると思うのですが、全く軽んじているものが多いのには辟易します。某出版社の画集などは二曲一双(二枚続きの作品で一双というのはそれが対になっている。一隻はその片方の作品)の作品でもほとんどの作品が一隻しかカラー掲載されていない。またある著名な美術シリーズの本では、宗達の二曲一双の「舞楽図屏風」を横ではなく、上下に一隻ずつ掲載しているのには呆れました。閑話休題。

  さて、芳中の作品ですが、琳派の中では突然変異のごとく、その自由闊達でユーモラスな形態や色彩表現に驚きました。作品から人物を推測する楽しみを感じるほど、大らかで豊かなもの。いずれも小品で植物を「たらしこみ」による「にじみ」を多用して描いています。時は1800年前後。その後、彼の作品を偶然サントリー美術館の展覧会で観ることができました。
 所蔵は大阪の萬野見術館。全て色紙大の作品でしたが、その形態と色彩、表現には驚きました。もちろん全て簡潔なフォルムの中に「にじみ」「たらしこみ」。
 1960年代美術界を席巻したアメリカの抽象表現主義。その中で「にじみ」や「たらしこみ」で「タシスム」を創始した巨匠サム・フランシスに先駆けること160年ですね。

 もっとも水性顔料を使用していた日本絵画では墨絵などにも古くからぼかしを使うのは当たり前で当然宗達や光琳もさかんに「にじみ」や「たらしこみ」は使っており、水性の素材では当然の技法です。 しかし芳中の仕様はそれが中心になっているところが特徴。極端にいうと、描く対象は何でもよく選んだものに対して「ここぞとばかり」に「にじみ」「たらしこみ」を多様します。

 さて、ここでちょっと琳派についてですが、もともと「琳派」という言葉は最近生み出されたもので特に1970年代になって展覧会で使われるようになったものだそうです。「琳派の開祖:俵屋宗達」とよく言われますが、その宗達派に影響されて尾形光琳らが一つのデザインスタイルを作り上げたもので、酒井抱一、鈴木其一らを中心に引き継がれていきました。
 有名な宗達の「風神雷神図」が、光琳、抱一、其一へと描き継がれていく様は「琳派」の継承者の印、ステイタスシンボルのようで面白いものです。
  そんな中での芳中ですが、彼は大阪から江戸に行って「光琳画賛」という書物を記したほどの熱烈な光琳ファンでした。これは後の琳派復興のきっかけとなった貴重な資料になっていまあす。従って彼の表現した作品は光琳を粉本にしたものが多く、上記に記した「梅図」の花の形にしても琳派で描かれたものを基本にしながら、芳中自身の形として取り入れています。
 
 芳中の作品は東京国立博物館、千葉市立美術館、京都の細見美術館、大阪の萬野美術館等で観ることが出来ますが、細見美術館、萬野美術館の所蔵する色紙大の作品が特にいい。

 先日、東京国立博物館で六曲一双の大作「蝦蟇鉄拐・許由巣父図屏風(がまてっかい・きょゆうそうほずびょうぶ)」を見ましたが、例の「にじみ」「たらしこみ」を多用しているものの、大味な作品でがっかりしました。
 大阪の裕福な商人だったらしい芳中は趣味人で、俳諧の世界に遊び、文人達と交流しながら人生を謳歌したのでしょう。表現を深めるというより、色紙に遊びつつ、光琳を思っていたのでしょう。(2001.8.)

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