寒 月 語 録

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「梵雲庵雑話」(岩波文庫)から興味深い寒月の言葉を掲載



【自身について】

 私は元来小説よりも、新しい事実が好きだった。ここに言う新しいとは、珍しいということである。


 浮世草子の類は、一万巻は読んでいると思う。


 私は日常応接する森羅万象に親しみを感じ、これを愛玩しては、ただこの中にプレイしているのだと思っている。洋の東西、古今を問わず、卑しくも私の趣味生をそそるものあらば座右に備えて悠々自適し、興来って新古の一巻をも繙けば、河鹿笛もならし、朝鮮太鼓も打つ、時にはウクルレを奏しては土人の尻振りダンスを想って原始なヂャバ土人の生活に楽しみ、時にはオクライナ(オカリナ)を吹いてはスペインの南国情緒に陶酔もする。


 虚心坦懐、去るものを追わず、来るものは拒まずという、未練も執着もない無碍(むがい)な境地が私の心である。

 私は両極端を持っている人間です。好きという事が即ち嫌いという事、嫌いという事が即ち好きであるかも知れません。沢山に寄せた本も、みんな散じてしまいました。物に執着して固守している事は嫌いです。


 私の家は町家であったにもかかわらず、早くから文明のお見舞いを受けた。しかしそれと同時に家は滅茶苦茶に壊れてしまった。


 明治の文明的変革は家庭的闘争の所産であるといえる。



【玩具について】

オモチャの十徳
 一、トーイランドは自由平等の楽地なり。
 一、各自互いに平和なり。
 一、縮小して世界を観ることを得。
 一、各地の風俗を知るの便あり。
 一、皆其の知恵者より成れり。
 一、沈黙にして雄弁なり。
 一、朋友と面座上に接す。
 一、其の物より求めらるるの煩なし。
 一、これによりて我を教育す。
 一、年を忘れしむ。


地方特有の玩具が益々影が薄れてきて、多くは都会化した玩具や、人形を作るようになってきたのは如何にも遺憾である。


 近来市井に見かける俗悪な色彩のペンキ塗のブリキ製玩具の如きは、幼年教育の上からも害あって益なかるべしと思うのである。


 玩具や人形は、単に無知なる幼少年の娯楽物に非ずして、考古学人類学の研究資料とも見るべきものである。


 時代と共に朴直な土民芸術の風が精巧すぎて面白くなくなって行くのは残念なことです。




【芸術について】

 西鶴の傑作といえば、世間では『一代女』がいいという評もありましたが、私は『一代男』の方が文として俳趣味があって誠に面白いと思います。


 私は古今の浮世絵師中、美人を画くに当たって、艶美という点において、歌麿の右に出づるものは全く無いと信ずる。


 私は日本製のもの(活動写真)は嫌いでみないから一向知らないが、(略)外国物専門の館へは、大概欠かさず見に行く。


文展について
 (西洋では)落選したからと言って、すぐに自分を棄てて他に走るような輩は少ない。また一度や二度入選したからといって、大家に成り済ましたような顔をして、研究をおろそかにしたりするようなことは殆どない。あくまでも自己を尊重していく。


 構図や、着色の苦心もよかろうが、それよりまず第一に吾人が今一層熱心に真面目に事物を深く研究することが必要であろう。随分有名な大家で、しかも、実に馬鹿馬鹿しい誤りを臆面もなく公衆の面前へさらけ出して平気でいるのがある(略)


 審査というものが如何なる権威を持っているかを疑う。また審査なぞと頭の上から威張られてよく美術家たちがだまっていることと思う。

 
 あの広くもない室に雑然と沢山の作品を置くのも一考すべき事であろう。或る作品に依っては陳列の具合で非常に出来栄がよく見え、また或る物は、とんと見栄えのしないようになることもあるであろう。

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